理念
地域のために、より良い医療を、心をこめて
基本方針
創立者、福井屯が現在の長崎市土井首町、当時は西彼杵郡土井首村という半農半漁の寒村で、内科 小児科医院を開業したのは大正11年であります。昭和30年12月には、戦後の結核病床の要請とバス運行の利便性に対応し長崎市草住町に移転、結核病床50床、一般病床3床の「医療法人浩仁会福井病院」として、病院設立が行われました。
昭和40年代になると長崎半島西部の救急医療を中心とした医療需要高まり、これまでの病院は手狭となり、昭和52年3月、深堀地区に207床の急性期病院として新築移転しました。
昭和50年代の高度成長期に伴い医療ニーズはさらに高まり、昭和61年増築、一般病床327床に増床、同時に名称を「医療法人長崎記念病院」と改称し、平成15年には回復期リハビリテーション病棟を改築、一般病床164 床、回復期リハビリテーション病床48床、医療保険適応療養病床44床、介護医療施設48床、の四機能を持 つ304床のケアミックス病院として生まれ変わりました。
平成21年には、これまでの実績が認められ長崎県初の社会医療法人に認定され、市南西部における医療・介護・福祉の基幹的病院として評価され、今日を迎えた訳であります。
当院を支援していただいた地域の皆様、ご指導・ご助力を戴いた長崎大学、行政の皆様、また多くの苦難を乗り超えて医療を継承していただいた先輩職員諸氏等に深甚なる感謝申し上げます。
同時に若い世代の皆様には、100周年、150周年と長崎記念病院の地域に対する思いを継承して頂きますよう期待して、これまでの病院紹介とさせていただきます。
社会医療法人 長崎記念病院
会長 福井 洋